作者が小説に対してできることはとても少ない。

「 凜とした人 」は、さまざまな分野で活躍する女性に、自身の生き方や価値観、美意識などについてお話を伺うインタビューシリーズ。第3回目は作家の角田光代さん。直木賞を受賞した『対岸の彼女』、ドラマ化、映画化され大ヒットとなった『八日目の蝉』や『紙の月』など、どこにでもありそうな日常から展開していく物語は、読み進めるうちにぐいぐいと引き込まれていく不思議な力を持っています。

前編に続いての後編では、昨年初頭に上梓した新訳『源氏物語』の現代語訳に取り組んだ5年間のこと、旅のこと、さらにはコロナ禍がもたらす今後について語っていただきます。

——昨年、『源氏物語』の新訳を上梓されました。古典の名作を翻訳するというのは大変なお仕事だっと思うのですが、どのような体験だったのでしょうか。

2013年にお声をかけてもらって、実際の着手が2015年。下巻が出たのが2020年2月ですから、足掛け5年『源氏物語』に携わっていました。その間、エッセイなどはやっていたのですが、小説は書いていないんです。

作家としては、不思議な体験ですよね。自分の小説ではなくて、既にあるものに対して、どういう表現ならわかりやすくなるのかということをずっと考えていくという作業は、今までやってきたこととは全く違うものでした。どちらかというと肉体労働に近いというか。どれだけ一生懸命やっても1日にできる量というのは決まっていて、肉体的にもう無理、という線がある。嫌だと思ったことはないんですけど、「いつ終わるのかなー」みたいな感じではありました。

——谷崎潤一郎や瀬戸内寂聴など、多くの作家が『源氏物語』の訳を手がけていますが、角田さんとしては、どういうものとして世に出したいと思っていたのでしょうか。

一気に読み通せるものにしたい、という思いが一番強かったです。立派な訳を求めるなら、既にたくさん出ているじゃないですか。それを読んでいただければいいわけで、私はその一員に加わるのではなくて、むしろもっとも格式のない、けれどもぐんぐん読めて面白い源氏、というようなことができたらいいなと思っていました。

——このお仕事を通して作者から受け取ったものはありますか?

いろいろあります。まず、多分作者は書いている間、傑作を書こうとか後世に残るものを書こうなんて絶対に考えていなかったはずだと思ったんですよね。千年後まで読み継がれるとか、そんな時間の感覚なんてなくて、ただ一生懸命求められるものを書いて、やめたいのにやめさせてもらえない時もあったりして、そうこうしながら続けているうちに長く書いちゃった、というのが事実なのではないでしょうか。多分本人はもっと早く終わりたかったけど、何かの事情で終わることが許されなかったのではないか。それこそ『少年ジャンプ』の人気連載みたいに。漠然とそう思えてきました。

そうだとすると小説って何なんだろうってすごく考えたんですよね。私たち作家がどれだけ一生懸命傑作を生み出したいと思いながら書いたとしても、たぶんその小説に対してできることはとても少ない。作家の手を離れた後、小説自体が力なり熱なりを持って世に出て行って、読む人たちが自身の力や熱で受け取っていかないと、多分売れないし後世にも残らない。そう考えた時に、作者なんてあまり関係ないんじゃないかって思えたんですね。多分それが、『源氏物語』を通して作者から一番学んだことのように思います。

——角田さんの作品も映画になったりドラマになったりしていますが、それも同じようなとらえかたをしていますか?

『八日目の蝉』が私の中で一番売れた小説なんですけど、あれは映画になったから売れたんですよね。つまり、あの小説に対して私ができたことってすごく少なかったんだなって思うんです。あの小説は映画やドラマにしてもらえる何かを持っていたから迎え入れられた。映画が公開されたのがちょうど東日本大震災の年だったんですね。で、受け取る側も何かいつもと違う熱を持って映画を受け取ってくれたという側面もある気がします。

そういう風に広がっていくものって、どこかに何か隙があるというか、いろんな解釈が許されるものなのだろうと思います。『八日目の蝉』はドラマと映画でテーマが全然違うんです。小説とも違うんですね。そんな風に、作る側がテーマさえも変えて作っても壊れない小説というものは、小説自体が強いのではないかと思ったりもしました。

——書いた時には思いもしなかったものに変わっていくことは、角田さんとしては歓迎しているんですか?

はい。逆にそうじゃないと残っていくのは難しいのかなと。

——相手に預けてしまえる度量みたいなものが、作品にも作者にもあるということですよね。

度量というか、隙というか。『源氏物語』に話を戻すと、私は女性としてバブルの頃を通ってきて今に至る間に、パワハラとかセクハラとか、昔はなかった言葉が出てきて、「あれってよく考えればセクハラだったんだ」などと考えたりする世代なわけです。さらに昨今のMeToo運動みたいなものも目の当たりにする中で、 現代女性の立場や現在の社会通念を意識して訳している。でも、当時の価値観は全然違うものだったはずなんです。それでも『源氏物語』は、私の解釈に耐えてくれるんですよ。多分50年、100年先に別の常識が生まれてまた違った解釈になっても、耐えて読み継がれていくのだろうなと考えました。

――その、耐えて読み継がれていく核にあるものは何だとお考えでしょうか。

物語の持つ柔軟さではないかと思います。長い物語ですが、その時代時代によって、いかようにも読み取ることが可能となっています。徳川美術館で絵巻物の展示をやっているときに、見にいって、教えていただいたのですが、尾張徳川家の子息たちは、『源氏物語』を帝王学のようにして読んだと伺いました。帝王学として読めることにびっくりしたのですが、その時代・環境によって、そんなふうにいかようにも読み取ることが可能で、なおかつ、物語の芯を失わないところが、これほど長く読み継がれている理由ではないかと思います。

男女問わず、この物語を読むことが教養とされた時代もあり、一方で、単純に読み物としておもしろいから熱中して読まれた時代もあった。そんなふうに時代に沿って、学び・遊び、両面にも応えてくれる物語なのだと思います。

――『源氏物語』を訳するなかで、日本人の本質、または日本文化の源流のようなものを感じることはありましたか?

四季の移り変わりが、登場人物の心理描写を投影しているかのように描かれていて、日本古来の自然のうつくしさ、色彩のゆたかさが印象深かったです。移り変わるゆたかな自然のなかに生きるということは、日本人の本質とかかわっているように思います。春にはあたらしい芽が息吹き、花が咲き、夏には時間が停滞するように重くなり、木々の色が濃くなり、秋には木々がみごとな色に染まり、それを雪が白く覆っていく、そうして巡り続ける瞬間瞬間のうつくしさをとらえたくて、歌が詠まれるようになったのかなと想像したりもしました。歌は今でいう写メのように、一瞬を切り取るのだな、と訳しているなかで気づきました。

運命の理不尽さを、前世の因縁と考えるのは、仏教由来の考えなので、日本文化の源流とはいえないかもしれませんが、その考え方自体は今も私たちのなかにあるかなと思います。

——旅がお好きで、旅のエッセイも多数書かれています。旅の魅力とは?

私はずっと同じ場所にいて、ひとつの価値観や常識だけを見ていると、なんだか窮屈になってくるんです。特に最近の日本って、他人の失敗とか醜態に対してすごく狭量でそれがとても怖いなと感じています。時々別の価値観に触れないと、息苦しくなってしまうんですよね。住むのと違って旅がいいのは、一つの価値観を背負わなくていいところ。無責任な立場でいられるのがいい。

——角田さん流の旅のスタイルとは?

30のなかばぐらいまでは、バックパッカー的な旅行をしてきました。予定をまったく決めずに出発して、着いた先で予定を決めながら移動していくという旅です。でも30代後半からは忙しくて時間がとれなくなり、そういう旅が無理になっちゃったんですね。最近では計画を立て、ホテルも予約してから行くような旅が主になっていました。

でも、60歳を過ぎたら、仕事のペースも落としてまたバックパッカーに戻りたいと思っているんです。おばあちゃんになって、みんなに親切にされながら若い時よりはもうちょっといいホテルに泊まるバックパッカーになりたい。だからもう、このコロナは想定外で。あと7年後には絶対落ち着いていて欲しいです。

——コロナの状況下で考えることはありますか?

このコロナ禍が去ったら、また以前の日常にみんな戻ろうとするのか、それとも今の状態が新しい普通として受け入れられていくのか、どっちの方向に行くのだろうと考えますね。ちょっと、わからないですよね。中国のニュースを見ていると、揺り戻しみたいにパーティーしたり旅行しまくったりしている映像が流れて来ますが、果たしてみんながああなるのか。あれが人間の根源的な欲望なのか。それとも記憶にとらわれているだけで、コロナが長期化したら消えてしまう欲望なのか。移動したり人に会ったりというのは、人間の根源的な欲求だと思っていたけど、実はそうじゃなかったっていう結論もあるわけです。そういうことを、最近すごく考えています。

――最後の質問になりますが、角田さんが考える「凜とした人」とは?

自分の意見を持っていながら、それに固執せず、柔軟に意見を変えていける人、でしょうか。

Profile: 角田光代(作家)

1967年神奈川県生れ。1990年『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2014年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞を受賞するなど、文学界の数々の賞を受賞している。2020年2月に新訳『源氏物語』(上、中、下巻)を上梓。現在、読売新聞朝刊にて5年ぶりの長編小説『タラント』を連載中。

取材・文:東海林美佳
撮影:福井 馨
ヘア&メイク:遠藤芹菜