無駄な時間こそ豊かさの根源だった、という実感

「 凜とした人 」は、さまざまな分野で活躍する女性に、自身の生き方や価値観、美意識などについてお話を伺うインタビューシリーズ。第4回目は唯一無二の存在感を放つ俳優の片桐はいりさん。

デビューから30数年、テレビドラマ、映画、そして舞台におけるさまざまな話題作でキーとなる役柄を演じ、おかっぱ頭の個性際立つ風貌とどこか飄々とした演技で、観客の脳裏に強烈な印象を刻んできました。また、エッセイ『もぎりよ今夜も有難う』で映画と映画館にまつわるエピソードをユーモラスに綴るなど、無類の映画好きとしても知られています。

前編に続いての後編では、自らのホームグラウンドと位置付ける舞台の醍醐味、コロナ禍での稽古やオンライン上演の体験とそこでの気づきについてうかがいました。

——演劇、映画、テレビドラマとさまざまな分野で活躍されていますが、表現の場としてもっとも好きな形態は?

俳優として面白みを感じるのはやはり演劇ですね。全身で表現できるものだし、その場のバイブレーションをリアルタイムに感じながら、共演者やお客様と一緒に作品を作ることができるから。映画館での映画の上映も一種のライブだと思いますけど、映画の中のことまでは観客には変えられない。でも演劇の場合は演者も観客もその場にいる者同士なので、その日その時にそこでしか成立しないものなんです。
劇場で観るという行為は、収録したものを家で観ることとは別物。なのにそれってかすかな違いなんじゃないかって思われているような気がするんですよね。生で観るとライブ感があっていいよねとか、見やすいとか画質がいいとか悪いとか、そういう話じゃない。そもそも別のものですよ!って私はいつも言ってるんんです。だってお客さんはその場に身体ごと行ってるわけで、行った以上、寝ていようと起きていようともう体験しているわけです。

——観客は上演を観るだけではない、身体で何かを感じとる体験をしているということですね。演者の側としては客席から出る”気”のようなものも影響しますか?

当然しますよね。それに呼応してこっちの気も出たり引っ込んだりしますよ。一人芝居をやったときにそれを強く実感しました。この公演はお客様の波動で出来上がっているんだって。出来栄えの良し悪しは私よりお客様の責任の方が大きいんじゃないかって、演じながらそんな気がしたくらい。だから逆に自分が観に行く立場の時には緊張します。今日のパフォーマンスが面白いか面白くないかは観てる私の責任でもあるんだって思っちゃって(笑)。

——舞台の醍醐味とは? 演じることの楽しさってどんなものですか?

それが……楽しさなんてないんですよ。本当に。演劇で楽しいなんて思ったことない。よくミュージシャンの方がライブで「うー最高!」みたいなこと言うじゃないですか。あれ、本当にそんなこと思ってるのかな、あたし思ったことないけど、って思ってる。「最高」とは真逆。いつもしんどいです。映画やドラマはまた別なんですけど、舞台の場合はほぼ試合っていう感じです。共演者との連携プレーがうまくいって大爆笑!みたいな時は気持ちいいって感じてるのかもしれないけど、そんなことに酔ってる暇はないですね。試合だから。どこでどんな球が来てもすぐとれるしスパイク打てるように、常に研ぎ澄ました状態にしておかないと。ほぼ頭で考えてないんです。運動神経ですね、多分。

今は稽古もすべてマスクをつけてやっているわけです。布1枚あるかないかで距離感が変わってくる。私、特に舞台で大事にしている感覚があるんです。自分の身体のGPS機能とでも言えばいいのかな。宇宙から見て自分はどの位置にいるのかっていうことを感知する能力が俳優には不可欠で、それさえあればやっていけるって思ってる。なのにマスクつけて稽古して、本番ではそれを外してやるとなると、GPS機能が狂って「ほえはえふえ〜」って平衡感覚がなくなるんじゃないかという気がしてます。

——昨年6月に上演が予定されていた『未練の幽霊と怪物』がコロナ禍で延期となり、『「未練の幽霊と怪物」の上演の幽霊』がオンラインで上演となりました。観客はおろか共演者とも空間を共有しない形での試みはどんな体験でしたか?

不思議な体験でしたねー。本当に誰にも会わないまま、パソコンに向かって稽古をしたんです。全身を使うので、自宅より広い町内会の会議室みたいなところを使わせていただいて一人でやってました。他の役者さんたちも、ご自宅とか、お子さんがいらっしゃる方なんかはベランダを使ったりとか。演出家の岡田利規さんは熊本から演出してましたしね。みなさん東京にいるのかどうかもわからない状態のまま、画面を通してやりとりして、それなりに大変でした。

しくみとしては面白い体験で、どこにいるかもわからない人とセッションするというのは新鮮でもありましたよ。けど、それは演劇とは別ものだし、単純にこれでいいとされるはずはないと思っているところが私にはあって。だって、絶対楽しいでしょ、会ってやった方が。

これをやってすごく思ったのが「私はウィルスよりもこの機械(コンピューター)の方が嫌だ!」ってこと。だって自分でボタンを押してやり始めなきゃいけないし、自分の手には負えない不具合が起こったりもするし。録った音声を圧縮して送ってくれとか、もうわからないことばかり。「あたしゃウィルスよりもこっちの方がストレスだー!」ってよく怒ってましたね(笑)。

本番前はパソコンが作動しなかったらどうしよう?とか、急に人が入って来ちゃったらどうしたらいいんだろう?って不安で前の晩からすごく緊張しました。私、このぐらいのことで緊張するような人間じゃないんですけどね、普段なら。出来上がったものを見て「小さい」「見えない」「どれがはいりさんかわからなかった」とかいろいろ言われたんですけど、リアルな演劇と同じものを観られると思ってることの方が間違ってますよって言いたい。『「未練の幽霊と怪物」の上演の幽霊』は、そういうことを体感してもらうための実験だったと私は思ってますけどね。

今回の体験で気づいたのが、ウィルスなんかよりずっと前から、私たちはインターネットというものに侵食されてたんだってこと。気がついたら別の人間に変えられてた。だってもう、これがないと何にもできないでしょ、私たち。こっちの方がよっぽど恐ろしい侵略者ですよ。

『「未練の幽霊と怪物」の上演の幽霊』配信映像より。画面向かって左から、七尾旅人、内橋和久、栗原類、片桐はいり。
写真提供:KAAT神奈川芸術劇場

——これが未来の演劇になってしまうのか?みたいな恐怖感とかはありましたか?

これが? いや真逆ですよ。絶対従来の形のものが必要だってなるはずだと、私信じてますもん。こんなものに負けてたまるか! みたいな気持ちがあるんです。だっておかしいもん、どう考えても。最近、若い人たちとしゃべってて「あたしの大学時代、携帯なかったからね。前の日に予定入ってなかったら、次の日は全部フリー」って言ったらものすごくうらやましがられましたよ。「いいなー、はいりさんの若い頃」って。スマートフォンとかネットとか、そういうものに私たちはどれだけ時間を吸い取られているか。私、最近は信号がチカチカってなっても走って渡らないですよ。こんなところで走って作ったわずかな時間をスマホをいじる時間に使うんだったら、そんなもののために走るもんか!って思って(笑)。

コロナ禍でこういうことになって、インターネットがあればいろいろ済ませられることはわかった。でもそれだけじゃだめなんだってことに気づいた人、多いんじゃないかと思うんです。コロナの前から、私たちがいかに体を置き去りにしてきたかっていうこと、みんなに気づいて欲しいと思ってるんです。

リモート稽古をすると「おつかれさまでしたー」って言ってスイッチを切った瞬間にもう家なわけです。通勤時間もなくて、すぐご飯食べたりテレビ観たりできるから、時間の節約としてはありがたい。でも、無駄な時間の大切さっていうのも、今回みんなよくわかったでしょ。稽古終わって「どうする?飲みに行く?」「あたし今日は帰ります」とかっていうやりとりがあって、電車で帰る。その間にお稽古中にもやもやってなってたことが胸の奥に沈んでいくわけで、その時間が絶対必要じゃないですか、人間って。「ああ、今日あの人が言ってたことってこういうことか」って。
少なくとも私には、そういう、浸かる時間がないとだめなんです。これが豊かさの根源だったんだ!って実感しましたね。効率とか合理性とかを追求して無駄を排除していくと、雑味も個性もなくなっちゃう。そしたらもう、アバターってことですよね。

そういうこと言ってるのって昭和の人でしょ、って最近はなるんでしょうけど、私は昭和の人で全然いいと思って。この間、若い俳優さんと仕事して、若者言葉のイントネーションを間違って使ったら「それ違います」って直してくれたんですけど、ああラッキーって。そんなものになびいてないってかっこいいじゃない?って思っちゃった。今の流れについていってない自分を、いいなあって思っちゃったんです。

——片桐さんにとって「凜とした人」とは?

なりたい自分という解釈でいいのだとしたら、「どこ吹く風」みたいな人。周囲のことなど気にも留めず、気づきもせず、自分自身のままで生きてる人を見ると、ああすごいかっこいいなあ、ああなりたいなあって思いますね。

Profile: 片桐はいり(俳優)

1963年東京都生まれ。大学在学中に劇団に参加。その強烈な個性と存在感が注目され、舞台のみならずCM、テレビ、映画へと活躍の場を広げ、以来個性派俳優として、NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』の”あんべちゃん”役をはじめ、映画『かもめ食堂』、『小野寺の弟・小野寺の姉』など多くの話題作に出演。また、著書『もぎりよ今夜も有難う』では、映画愛と映画館愛を独自の筆致で綴っている。地元・大森の映画館「キネカ大森」では今も“もぎり”としてカウンターに立つことも。出演映画『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』が公開中。また、コロナ禍で延期となっていた舞台『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」—』が、2021年6月から神奈川、豊橋、兵庫にて上演される。

取材・文:東海林美佳
撮影:福井 馨