昔も今も、安易な決めつけに抗う “あまのじゃく”

「 凜とした人 」は、さまざまな分野で活躍する女性に、自身の生き方や価値観、美意識などについてお話を伺うインタビューシリーズ。第4回目は唯一無二の存在感を放つ俳優の片桐はいりさん。

デビューから30数年、テレビドラマ、映画、そして舞台におけるさまざまな話題作でキーとなる役柄を演じ、おかっぱ頭の個性際立つ風貌とどこか飄々とした演技で、観客の脳裏に強烈な印象を刻んできました。また、エッセイ『もぎりよ今夜も有難う』で映画と映画館にまつわるエピソードをユーモラスに綴るなど、無類の映画好きとしても知られています。

前編では、そんな片桐さんに、映画館にまつわる近年のユニークな活動と、その個性を育んだバックグラウンドについてうかがいました。

——まずは2018、2019年に制作されたショートムービー『もぎりさん』について聞かせてください。映画館愛に溢れたこのユニークな企画は、そもそもどのような動機で始まったのですか?

『もぎりさん』#1のみWEBにて配信中

私の地元である大森に「キネカ大森」という映画館があるんですけど、映画を観にあまりに頻繁に通ううちに、数年前からたまにもぎり(編注:映画館で映画の半券を切るスタッフ)もするようになったんですね、趣味で(笑)。そんななかで、キネカが2018年に改装するということになり、今の内装を何らかの形で残しておきたいね、みたいな話が出たんです。

で、私もいるわけだしショートムービーなら撮れるんじゃないの?と。本編で流すような作品は難しいとしても、本編の前に流す1、2分程度の先付けムービーとしてならできるだろうと。私個人の野望としては、なんでもいいから私主演でひとつ映像作品を作ってもらったら、私自身がそのフィルムを持って全国の危機に瀕した、あ、危機に瀕してなくてもいいんですけど(笑)、映画館を回ってもぎりをするというイベントをやりたい、というのがあったんです。

それと、キネカ大森のオリジナルの内装を映像に残したいっていう映画館側の意図とがリンクして出来上がったのが『もぎりさん』。最初に撮った6本と、session2として撮った6本の合計12本をキネカ大森で流したんですけど、その後コロナでこういう事態になって全国を回るどころかもぎりすらできなくなってしまったという……。

――ではこういう事態になっていなかったら、もぎりとして今頃全国を回っていたは ずだったというわけですね。

お話があれば回っていたでしょうね。今もお話はちらほらあって、実際にもぎってくださいっていうリクエストもあるんですけど、今それをやるのはさすがに難しいですね。そもそも今の世の中、もぎらないらしいんですよ。紙をなくそうっていう流れになってきてるから。まあ、私の本意はもぎることそのものより、私が死ぬまでは映画館を残しておいてよ、っていうことなので、もぎりにこだわってもしょうがないと思ってますけど。

——子供の頃の片桐さんはどんなお子さんでしたか?

最近ふっと小さかった頃のことを思い出したんですけど、当時、例えば絵を描いていて、先生に「片桐さん、お花を描いたのねー」って言われると「いえ違います。お花じゃないです」って言ったりしてたんですよ。自分でもお花を描いてたくせに、なぜか人から「お花」って言われると嫌で「違う!」って(笑)。あまのじゃくですよね。普通の感じにおさまりたくないというか、そういうところが当時から私にはあったみたいです。
今でも「これってこういうもんでしょ」っていう安易な決めつけが大嫌い。台本読んで、そういう考えを感じ取ったら多分やらない。「そんなもんでしょ」ってくくらないで!って思っちゃいます。そういう意味では三つ子の魂百まで、っていうことなのかもしれないですね。演技でも、プッと思わず吹き出しちゃうような意外性が必要だと思ってますし、私の中で笑えないものはやりたくないって思ってしまいます。

子供時代に好きだったのは本を読んだりお話をつくったりすること。といっても文学少女っていうのともちょっと違っていて、今日学校であった面白い話をどうやって親に伝えたら一番ウケけるか、みたいなことを考えながら下校してましたね。構成を考えてどこで落とすか、とか、忙しい親の気を引くキャッチーな伝え方は?みたいなことを考える子でした。

読む方では古典が好きでした。源氏物語とか、平家物語とか、そういう日本の古典。ポプラ社の子供向けの古典全集を全部熟読してました。平家物語なんかは、武将の名前はおろかその馬の名前まで全部覚えちゃって。「祇園精舎の鐘の声〜」とかって暗唱するような小学生。今ひとつも覚えてないですけど(笑)。

——少女の片桐さんをそこまで熱中させたものとは何だったのでしょう?

多分、古典というものが遠い世界の夢みたいな話だからじゃないですか。ここではない世界にトリップするような感覚。映画が好きっていうのも同じ感覚ですよね。映画に出会った時、それまで脳内で妄想していた夢の世界が目の前に広がっていてその中に入っちゃえるような感覚を覚えました。映画館へ行くことで宇宙にも行けたし、外国の人と友達になることもできた。幼稚園の時、親に連れて行ってもらって日比谷映画で『101匹わんちゃん』を観たのが一番古い映画の記憶なんですけど、映画館を出たら日比谷の西洋風のビルが立ち並ぶ風景で、「ここはロンドン?」みたいな錯覚に陥ったことを覚えています。

——映画に魅せられたことが俳優という今の仕事につながっているのでしょうか?

それは全く別の話。映画に出会って、映画の周りで働きたいと思うようになったんですけど、それは「女優になりたい」ということではないんです。私たちの世代は「女優」って一般人が夢見ていいようなことじゃなかった。今の人は「片桐はいり枠なら映画出れるかも!」なんて言いますけど、当時はそんな枠なかったからね(笑)。女優というものは、綺麗な人、見応えのある人じゃなきゃなっちゃいけないと思ってたから、そういう発想はみじんもなかったです。

大学生の時に劇団に入ったのも偶然というか、成り行きというか。役者になりたいという確固たる意思があったわけではないんです。自分の意思という意味では、「大学に入ったら映画館で働きながら映画を見まくるんだ!」と思っていて、いろいろ調べてアルバイト先を銀座文化(現在のシネスイッチ銀座)という映画館に決めて、もぎりのアルバイトをしたこと。就職活動の時期になると映画の配給会社を受けてみようか、なんて思っていたのですが、ちょうどその頃にコマーシャルの話が来ちゃったんです。

——小劇場演劇の一大ブームが起こっていた当時、片桐さんの個性は大きな注目を浴びていました。それを受けてのCMオファーでしたよね。

俳優になることにはまったくこだわっていませんでした。私としては映画会社に就職するか、それが叶わなかったら映画館のもぎりとして一生過ごせばいいやって思っていたので、俳優という道は横から突然現れたという感じ。でも、テレビコマーシャルに出たらアルバイトの何十倍っていうお金をもらっちゃった。「これで1年働かなくてもいいじゃん!」って(笑)。いや、実際にはそんなにはもらってないんですよ、でも気が大きくなって就職せずにそのまま続けてたんです。30歳ぐらいまでは「今仮でやってるだけなんで」っていう気持ちでしたね。劇団を辞める頃までは、自分が俳優であるという自覚はなかったと思います。

——当時、片桐さんのように小劇場で活躍されていた俳優さんたちは、今やテレビや映画で引っ張りだこですよね。

そうですね。なんだか今テレビをやっているのが昔の小劇場の人で、テレビの人たちが舞台をやっているっていう逆転現象が起こっているように思います。不思議な感じですよね。
世代的には私たちって境目なんです。私よりもちょっと上の世代はテレビを下に見る風潮がありましたし、一方で私たちより後の世代はテレビに出ることを目指して舞台をやっている感じがあった。私としては、テレビに出たら格好悪いっていう感覚はなかったけど、テレビに出ることを目標にしたわけでもない。たまに他の俳優さんに言われますよ、「まだ舞台で地方とか行ってるんだー」って。ああ、「テレビに出て有名になったら“上がり”」という考え方があるんだなあ、って思いますけどね。

私の場合、ただ自由にやっているのが好きっていうことなんだと思います。有名になりたいとか、テレビにガンガン出たいとか、逆にテレビは嫌ですとか、そういうことではなくて、自分が一番楽しいところにいたいっていうのが根底にある。それが、単純に映画館だったり演劇だったりということなのだと思います。

 【後編に続く……】

Profile: 片桐はいり(俳優)

1963年東京都生まれ。大学在学中に劇団に参加。その強烈な個性と存在感が注目され、舞台のみならずCM、テレビ、映画へと活躍の場を広げ、以来個性派俳優として、NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』の”あんべちゃん”役をはじめ、映画『かもめ食堂』、『小野寺の弟・小野寺の姉』など多くの話題作に出演。また、著書『もぎりよ今夜も有難う』では、映画愛と映画館愛を独自の筆致で綴っている。地元・大森の映画館「キネカ大森」では今も“もぎり”としてカウンターに立つことも。出演映画『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』が公開中。また、コロナ禍で延期となっていた舞台『未練の幽霊と怪物未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」—』が、2021年6月から神奈川、豊橋、兵庫にて上演される。

取材・文:東海林美佳
撮影:福井 馨