化粧の歴史、知ってます?

こんにちは、凜としての入部です。

不快指数、100%の毎日ではありませんか?

何となくじっとりとして、なかなか仕事もはかどりません。

ここで、嬉しいお知らせです。今まで、ネットでの販売のみでしたが、東急ハンズさん、ロフトさんで、販売開始されることになりました。ネットでの購入がお好きではない方、実際に手にとってから購入されたい方は、店舗に足をお運びください。

まずは、東急ハンズさんの銀座、池袋、新宿、東京、北千住、千葉、梅田、京都、博多、長崎店で発売開始されます。

今日は、お化粧の歴史について、少々。化粧は一体いつ頃から始まったと思いますか?

何と・・・ネアンデルタール人は、体に黄土を塗り、髪には鷹の羽を挿していたと言われています。ホモ・サピエンスの時代でも埋葬品の中から、化粧品を使われた形跡が見つかっています。

ツタンカーメン王の黄金のマスクにはアイラインが描かれています。副葬品の中にはアンクエスエンアメン妃が王に香油を塗っているところが描かれています。古代エジプトでは、朝の沐浴から始まり、体臭防止と乾燥防止の芳香剤、軟膏剤、アイライナー、アイシャドー、ネール、毛染めなど、特権階級の男性たちから始まったと考えられています。

ギリシャ・ローマ時代ではスキンケアはコスメティッケ・テクネと呼ばれ、医療と同様に尊重されました。メーキャップはコモティケ・テクネと呼ばれ、区別されていました。このころから女性が寝るときにパックをするようになりました。紅をつけたりする現在のような化粧は、ギリシャ時代から始まったようです。中世後期からルネッサンスにかけておしゃれの中心は、イタリア、特にヴェニスで、顔に白粉を塗りその上に紅を加えるイタリアの化粧がヨーロッパに広がりました。エリザベス1世は晩年に白粉を半インチもの厚さで塗っていたので表情が分からなかっと伝えられています。笑!

日本ではいつ頃から化粧が行われるようになったのでしょう?

日本でも旧石器時代にベンガラが付着した人骨が発掘されています。「魏志倭人伝」でも『朱丹を以ってその体に塗る』とういう記述があり、弥生時代に赤の化粧がされていたことが分かります。白の化粧も古くからあり、えらい僧侶が持統天皇に献上した記録が残っています。白はこの時代から清潔、潔白、純潔を表し、誰の目にも美しく見えたようです。

日本独特の文化では、黒の化粧です。眉墨は他国でもありましたが、お歯黒は他国には見られない文化です。これも魏志倭人伝に「黒歯濃く、東海中にあり」とあります。眉墨は眉毛を抜いて整え、墨を塗ったものです。黒の化粧は黒髪と白の化粧との調和で発達したものと考えられています。日本では体の衛生は神道の禊や仏教でも推奨され、祭事にメーキャップ的な風習があったことから、化粧に対する宗教的な抑圧がありませんでした。室町時代後半からは、石鹸と香料という南蛮文化が入ってきます。

化粧技術が大きく発展したのは、江戸時代です。洗顔用品や和製化粧水などが売られていました。白粉や口紅といった化粧品が特権階級から庶民にまで広がったのはこの時代です。明治時代には、化粧も西洋化し、徐々にスキンケアとメーキャップが分化され始めました。

現代の日本では、スキンケアを重視する傾向があるようです。品種を売上金額で比較すると、皮膚用化粧品が44%で1番多く、次いで頭髪用化粧品27.5%、仕上げ用化粧品が23.6%で、香水やオーデコロンは0.3%で欧米などと比べるとかなり低い金額になります。

まさしく、「凜として」の日本人のための化粧品が、スキンケアとヘアケアなわけをご理解いただけたでしょうか?これからも、日本人のための「凜として」をよろしくお願いします。

 

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