昔の皆既月食

こんにちは、凜としての入部です。いつも「凜として」をご利用いただき、ありがとうございます。

今週は、皆既月食で盛り上がりましたね。スーパームーン&皆既月食!お月様、大好きな私としては、3年ぶりのことで、大興奮でした。皆既月食は「太陽―月―地球」が一直線に並び、月が地球の影の中に入ってしまう天文現象を言います。

月食の色は、毎回微妙に変化します。赤黒い「赤銅色(しゃくどういろ)」と呼ばれる色ですが、その色合いは毎回微妙に異なります。月は地球の影に完全に隠れ、太陽からの光が届かなくなりますが、地球の大気を通過する波長の長い赤色だけが屈折して地球の影に入った月を照らします。赤銅色はこの光によって生まれます。色の違いは、大気に含まれるチリの量で決まります。チリが少ないと多くの光が入り明るいオレンジ色に近くなり、チリが多いと黒っぽくなります。

残念なことに、富山では見ることができませんでした。夕方までお天気が良かったのに、段々と雲が厚くなり、日没の頃には、完璧な曇り空でした。取り敢えず、期待を捨てることなく、ベランダから空を眺めていましたが、結局・・・ダメでした。それでも、北海道、東北、沖縄では、ラッキーなことに見ることができたようです。途中YouTubeでも、Liveで配信されていました。それを見ながら、前日のお月様はキレイだったのに・・・、でも、次こそ大丈夫!なんて、勝手に決めつけていました。笑

次回の11月19日は、部分月食(月出帯食)です。来年の11月には、皆既月食があります。今回のようなスーパームーンの皆既月食は、2033年の10月になります。

次回のために、豆知識!時代を遡って、みましょう。

中世の人たちの月食感

九条兼実の日記「玉葉」や鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて起こった月食の記事が多くあります。当時の人々は、月食を「何か良からぬことが起こる兆し」だと考えていたようです。例えば九条兼実は月食の時にはお経をひたすら唱え、月を見なかったと言われています。また、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝は、月食の光を避けるためにわざわざ御家人の家に泊まったとあります。その頃は、「月食」ではなく、「月蝕」と表記されており、文字通り蝕む(むしばむ)という意味でした。

また、古事記では、こんなお話があります。天照大御神の暴れん坊の末の弟、須佐之男命が暴挙を働き、嘆き悲しみ、怒り、姉の天照大御神は、岩戸に引きこもってしまった。太陽神が隠れたことで、世界は暗闇に包まれた。神々は怯え、様々な災禍が押し寄せてきた。神々は知恵を結集して、岩戸から天照大御神を誘き出すことに成功すると、たちまち辺りは陽の光に満たされた。この「天照大御神の岩戸隠れ」は、神秘的な皆既日食の現象を神話として仕立てたものだと考える説もあります。

全国に「天の岩戸」や「天の岩屋」と称される場所がありますが、ここもその一つです。

今は太陽暦ですが、明治5年まで、日本は太陰暦でした。旧暦とか、和暦とかって言われています。意外に最近だと思いませんか?暦が使われ出したのは、飛鳥時代なので、太陰暦の歴史の方が長いのです。太陰暦は、月の満ち欠けの周期を暦にしたものです。「太陰」とは、月のことです。毎月1日が新月で、三日月、上弦の月、15日が満月に当たります。以降は、再び欠けていく、十六夜、下弦の月、そして月末にかけて新月になっていく。旧暦の9月13日に行う十三夜、8月15日に行う十五夜、23日の二十三夜に集う月待は有名です。月待は明治期までは続けられていましたが、現在ではほぼ姿を消してしまいました。唯一、十五夜(中秋の明月)だけは、今でも受け継がれている習わしですね。満月に見立てた団子と魔除けのススキを供え、観月会に参加している方も多いと思います。

今回の月食、見られた人も見られなかった人も、一緒に空を見上げたのだなぁと思うと、嬉しくなります。コロナ禍ではありますが、上を向いて歩きましょう!!もう少し、がんばりましょう!

日日是好日

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